以降は、個人的思いです。
祈りの課題は出しっぱなしではなく、
「祈り → 答え(気づき) → 感謝 → さらに祈り」
このサイクルを回していくことが大切だと、私は考えています。
私は時々こう思うのです。
「祈ってどうなったのかな?」と。
それが証しとして語られていれば素晴らしいことですが、何も共有されなければ、祈りを出すこと自体がただの自己満足に終わってしまうのでは…??と感じてしまうことがあります。
もちろん、すぐに答えられる祈りばかりではありません。
長くかかるものもあります。
ただ、「どうなりたいのか」というビジョンが祈りの中に抜けていたり、自分自身の努力が伴っていないときもあるのではないでしょうか。
聖書には、38年もの間よくならなかった病人に対して、イエス様がこう尋ねられた場面があります。
「良くなりたいのか」
(ヨハネ5章1〜10より)
この問いかけは、祈りの本質を突いていると思います。
「どうしてほしいのか」があいまいなまま祈り続けても、方向性が定まらない。
例えば「泥棒に入られませんように」と祈りつつ、鍵を閉めないのでは、どこかちぐはぐに思えてしまいます。
🙏 委ねる信仰とは
「神に委ねる信仰」とは、祈りを“出して終わり”にすることではありません。
結果がどうであれ、神が最善をなしてくださることを信じ、祈りの経過を歩みとして語っていくことだと思います。
出しっぱなしの祈りは、ご利益を求める信仰と似てしまいます。
しかし、経過を共有し、小さな一歩でも証しとして語るなら、それは「委ねる信仰」の表れです。
ヨルダン川を渡ったイスラエルの民のように、足を踏み出した時に水が分かれ、道が開かれることもあります(ヨシュア記3章)。
祈りもまた、踏み出した一歩の中で答えられていくものだと思います。
🌿 結びに
この考えこそ、自己満足かもしれませんが・・私はHSP気質のせいか、人より敏感にこうしたことを感じてしまうのかもしれません。
けれどだからこそ、「祈り → 答え → 感謝 → 次の祈り」というサイクルを、自分自身は大切にしていきたいと思っています。
それは自己満足ではなく、神に委ねる信仰のかたち。
そう信じて、これからも一歩ずつ歩んでいきたいです。
感謝します。