デエビゴを服用するとよく眠れるが、翌朝ぼーっとすることが多く、今も眠気がある。
だけど、いいこともあって、咳がほとんど出なくなった。これはよかった。
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”休憩が大事” これが自分のキーワード。
自分ではよく「キリのいいところまで」と思って、ついやりすぎてしまう。
それは今の身体になる前からずっとあった癖であり、
意識しないと、どうしても“やりすぎてしまう方”に行ってしまうことに、今朝気づかされました。
私自身は母に似ていると思っています。
2023年に天に召されたのですが、母は常に動いている人でした。
そういうところや、メモ魔なところも、私とよく似ている部分があります。
ちなみに、妹と父はよく似ています。
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思い出した聖書の箇所 ― ルカによる福音書10章38~42節
ふと、聖書のある箇所を思い出しました。
それは新約聖書「ルカによる福音書」10章38節から42節、
マルタとマリヤの物語です。
聖句のあらすじ
イエス・キリストがある村に入られたとき、
マルタという女性がイエスを家に招き入れました。
マルタの妹マリヤは、主(イエス)の足元に座って、その話に聞き入っていました。
一方、姉のマルタは、いろいろのもてなしのためにせわしく立ち働いていました。
マルタは忙しさのあまりイエスに不満をぶつけます。
「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。
手伝ってくれるようにおっしゃってください。」
これに対してイエス・キリストは、マルタを優しく諭します。
「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。
しかし、必要なことはただ一つだけである。
マリヤは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」
(ルカによる福音書 10章41-42節)
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「頑張りすぎる人」への教え
この物語は、単に「家事をすべきか、話を聞くべきか」という話ではありません。
マルタは「完璧にもてなさなければならない」「自分の責任を果たさなければならない」という思いに縛られ、
行動と義務に追われていました。
その結果、思い悩み、心を乱してしまったのです。
これは、頑張りすぎる人が陥りがちな
「仕事や義務に忙殺され、心の安らぎを失う状態」を象徴しています。
マリヤは、目の前にいるイエス・キリストの言葉に耳を傾けるという
“ただ一つ必要なこと”、すなわち神との交わりや真理を学ぶことを優先しました。
イエス様は、マルタの奉仕そのものを否定したのではなく、
奉仕のせいで心の平安を失い、最も大切なことを見失ってしまったマルタの心の状態を指摘されたのです。
この箇所は、「頑張りすぎて心が乱れているときこそ、一旦立ち止まり、
奉仕や行動よりも神の言葉を聞き、心の安らぎを得ることを優先しなさい」
という教えとして理解されています。
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「これでいい」と言えるように
そうです。自身に置き換えると
タスクをこなすことを最優先にするのではなく、
今の最優先は、傷病手当を受給しているこの時期、
身体を休ませること――つまり「療養すること」。
だから今日は、出荷も徒歩ではなく、
その後の銀行も考えて車で行くことにしました。
帰宅後、振込なども無事に終わらせました。
出荷の前にはゴミ捨てもしましたが、
いつもなら無理していくつもまとめて“効率優先”でやるところを、
今日は「とりあえず1個」というルールを守ってやりました。
いつも強迫観念のようにあった「○○しなければならない」を、
「これでいい」に置き換える。
この時期にこそ、
“最優先を優先する生き方”を学びなおそうと思った一日でした。
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ハルとの夕方散歩
お昼寝のあと、ハルと夕方のお散歩に出かけました。
風があり、とても気持ちよかったです。
ゆっくり歩きながら、心も身体も少しずつ整っていくのを感じました。