今日は、体調が万全ではないながらも、
「何かをしよう」と思えるくらいには回復していた。
散髪に行こうか、部屋を片づけようか――そう考えていたけれど、
少し咳も出ていたので予定はすべて延期。
結果として、何も進まなかった一日に見えるかもしれない。
でも今は違う。
「きちんと療養した一日だった」と、
心の底から思えている。
以前の私なら「無駄な一日」と感じていたはずだ。
だけど今は、自分の身体と対話できた。
それは、HSPである自分を受け入れ始めた証でもある。
💭 HSPとしての自己理解と変化
HSP(Highly Sensitive Person)は、
環境や感情に敏感で、深く考え込む気質を持つ。
私は今日、「休めたこと」を素直に肯定できた。
それは、HSPが持つ繊細さを否定せず、
むしろそれを“生きるリズム”として受け止めたからだと思う。
頑張ることだけが価値じゃない。
休む勇気もまた、人生の誠実な一部なのだ。
⛪ 組織での誠実さとは何か
所属している教会に退院後依頼し、オンライン礼拝をしてもらっている。
配信が途中で切れる不具合を改善してほしいと依頼していたが、
修正のないまま進行されてしまった。
さらに、PPT(礼拝用スライド)の提出期日は、私が入院する前にも遅くても礼拝前までに曲目を提出してほしいと話していたが
守られていなかったので、先週再周知したが今週も守られず「今回は牧師が作成します」との連絡。
もちろん、それ自体は構わない。
しかし、ルールを作る立場の人が自ら破ることに違和感を覚えた。
ルールは人を縛るためではなく、
信頼関係を守るためにある。
それを率先して破る人は、
ルールの意味を本当には理解していないのではないかと思う。
「ルールを破る人は、ルールを作ったことがない。」
そう実感した瞬間だった。
同様に、自分の考えで良かれと思って進めてしまう責任ある人がそうするときがある。
特に行政絡みだと後々の修正に大量に時間がかかるということを理解していないのだろう。
私は常に「酔っぱらった人は酔っているとは言わない」というのを基本にして考えている。
うまく言えないがニュアンスが伝わればよいと思う。
🫧 優しさと自己犠牲のあいだで
もう一つ、心に残ったのは生活面でのこと。
私自身、傷病手当を受給しながら療養している。
それでも、愛犬ハルの世話や家事の多くを担っている。
食材を使って料理したりもしている。
ちなみに今晩のメニュー。
ちなみに全量食べるわけではない。
理由は、パートナーも精神的な病を抱えているから。
支え合いたい――その思いは本物だ。
けれど最近、ふと疑問が浮かぶ。
「このままで本当にいいのだろうか」と。
疲れが出ているのに無理を続けるのは、
やさしさではなく自己犠牲かもしれない。
HSPの私は、相手の痛みを自分のことのように感じる。
だからこそ、自分の限界を見極める勇気が必要だと思う。
自分を守ることは、相手を見捨てることではない。
それは、共に生きるための選択だ。
外部の助けを借りることもまた、
冷たさではなく、持続可能なやさしさの形。
🌸 誠実さとは「静かに一貫していること」
今日の三つの出来事を通して、
「誠実さ」という言葉の意味を改めて考えた。
誠実とは、派手に主張することではなく、
小さな約束を守り続けること。
自分にも他者にも嘘をつかず、
静かに一貫していること。
休むことも、
ルールを守ることも、
やさしさを見つめ直すことも、
すべてが“誠実である”という選択につながっている。
🕊 まとめ
- HSPであることを改めて自覚できた
- 組織における誠実さの欠如に違和感を覚えた
- 優しさと自己犠牲の境界線を見つめ直した
これらは、どれも小さな出来事だけれど、
生き方の軸を見つめ直すきっかけになった。