こんばんは。
昨日は、山手町教会のO牧師のメッセージを拝聴し、
オンライン礼拝から多くを学びました。
📺 アーカイブはこちら
https://www.youtube.com/watch?v=fJOt8qPYC-U
1. 信仰は、もう与えられている
ルカ17章5〜10で弟子たちは「信仰を増してください」とイエス様に願います。
けれど、イエス様の答えは意外なものでした。
「からし種ほどの信仰があれば、この桑の木に『海に根を張れ』と命じても従うだろう。」
つまり、“信仰を増やす”のではなく、
“すでに与えられている信仰を働かせる”ことが求められている。
信仰は神からの贈り物であり、
行動と結びついたときにこそ力を発揮します。
信仰は“思う”ことではなく、“使う”こと。
「動かしてみる」「試してみる」——
そうして初めて、神の力が流れ出すのです。
2. 許しは信仰の行動
この箇所の前後で、イエスは「何度でも赦しなさい」と語っています。
赦すこと——それは人間にとって最も難しい行い。
よほど聖人でない限り、簡単にはできません。
だから弟子たちは、「そんな信仰は足りません」と叫んだのでしょう。
けれど、イエス様の視点は違いました。
赦せるようになるのは“信仰を使うとき”。
赦しとは、信仰そのものの実践形なのです。
3. 私の場合——遮断という赦しのかたち
私自身、最近「距離を置いた人々」への対応に悩んでいました。
祈り、赦しはした。
けれど、行動として選んだのは「関係の遮断」。
それは逃避ではなく、HSPとしての境界線を守る行動でした。
「赦す」と「再び交わる」は同義ではありません。
赦しとは相手を神に委ね、自分の心を自由にすること。
距離を取るという選択も、
立派な信仰の表現であると今は感じています。
信仰は、形にこだわらず「神の示す今の行動」に従うこと。
それが“働く信仰”なのだと思います。
4. 奉仕は信仰の訓練場
「主のしもべとして、命じられたことをするだけ。」
それがルカ17章後半のメッセージです。
神が与えた場所で、淡々と仕える。
その小さな積み重ねが、信仰を育て、心を耕す。
「置かれた場所で咲きなさい」とは、
神が用意した舞台で自ら動くこと。
そこにこそ、信仰が実際に“働く”瞬間があります。
🌿結び
信仰は“与えられていない”のではなく、
すでに“与えられている”。
足りないのは、
動かす勇気と、神を信じて一歩踏み出す覚悟だけ。
赦せない人がいるなら、赦しから始めよう。
関係を切ることでも、静かに祈ることでもいい。
あなたの中の信仰は、もう息づいている。
その種を、今日、働かせようと思う🌱