— 創世記9:18〜28(オンライン礼拝メッセージより)
今日のオンライン礼拝で語られた創世記9:18〜28のメッセージは、
私自身の心を静かに照らし出す時間となりました。
ハムが父ノアの失敗を「見て伝え」、
その話を受けたカナンがさらに「言い広めた」。
弱さを見つけ、それを拡大させていく――そんな連鎖がここには記されています。
聖書はこの場面を通して、静かに、しかし鋭く問いかけてきます。
「人の失敗を見たとき、あなたはどうするのか?」
詩編の言葉が重なります。
「幸いな人とは、あざける者の座にすわらなかった。」
あざける心は、ひとりの弱さから始まり、
乾いた草へ火が移るように広がっていきます。
人は誰もが失敗し、弱さを抱えながら生きています。
私は“その連鎖”に加わっていなかったか?
メッセージを聞き静かに自問自答をしました。
誰かの欠けを見たとき――
私はハムのように誰かへ伝え、
カナンのように心の中で拡散していなかっただろうか。
・言わなくていいことを口にしたこと
・広げなくていい思いを心で繰り返したこと
振り返れば、思い当たる瞬間がいくつもあります。
いつの間にか“裁く側”に立っていた自分がいました。
痛みを覚えつつも、その奥に静かな光がありました。
神は、私たちが弱く、失敗する存在であることをご存じです。
その弱さごと抱きしめてくださっている――
その事実を思い起こす時、深い感謝がこみ上げました。
セムとヤペテは「覆った」――尊厳を守る行為
ハムの行動とは対照的に、
セムとヤペテは父を見ないように後ろ向きで歩き、
着物でそっと覆いました。
それは隠ぺいではなく、
責め立てることでもありません。
“人としての尊厳を守る”という、静かで力強い行為でした。
この姿の中に、神の心が映し出されているように感じました。
第一ペテロ4:8にはこうあります。
「愛は多くの罪を覆うからです。」
今日、この言葉は深く胸に響きました。
私は、覆われたい。だから、覆う者になりたい。
礼拝の中で、私は祈りました。
「私の中の“裁く側”を悔い改めます。」
「どうか、神様の愛の衣で私を覆ってください。」
覆われた者だけが、人を覆う優しさを持てます。
ハムとカナンのように“広げる側”ではなく、
セムとヤペテのように“守る側”でありたい――
心からそう願いました。
祈り
主よ、人の失敗を見て裁きに傾く私の弱さを照らしてください。
悔い改めへと導いてくださったことを心から感謝します。
あなたの愛の衣で私を覆ってください。
今日から、弱さを広げるのではなく、
愛で覆う者として歩めますように。
あなたの愛を届ける器として、私を整えてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。