※本記事は、noteにて公開した内容を加筆・整理したものです。
今まで、私は様々な職種・業種を経験してきました。
しかし振り返ってみると、それらは決してバラバラなものではなく、
一本の線でつながっていたことに気づきます。
それは、どんな状況に置かれても、
「ひとりで稼ぎ、生きていく力」を養う過程だったのだと思っています。
もちろん、それぞれ所属した組織では、
結果もきちんと出してきました。
だからこそ、これらの経験は単なる知識ではなく、
身体に染み込んだ「スキル」として受肉していると確信しています。
交渉事、営業活動、事業の立ち上げ、組織の調整、
組織再編、行政対応、債権回収業務、
新規プロジェクトの立ち上げなど。
今振り返ると、どれ一つ欠けても、
今の自分はなかったと断言できます。
さらに先日、あらためて人生を振り返ってみました。
通常であればストレスで倒れていてもおかしくないほどの、
経済的困難、人間関係の問題、裏切り、家族の問題。
追い打ちをかけるように、様々な困難が重なっていました。
それでも私は、
「潰れなかった」。
そこには、明確な理由がありました。
私には、バックボーンがあったのです。
それが、信仰でした。
よく一般にも知られている、次の言葉があります。
「あなたがたの会った試練で、世の常でないものはありません。
神は真実な方ですから、
あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。
むしろ、耐えられるように、
試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。」
(コリント人への第一の手紙 10章13節)
これは聖書の一節です。
特に次の部分は、よく引用されます。
【あなたがたの会った試練で、世の常でないものはありません。
(神は真実な方ですから、)
あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。】
実はこの言葉は、
クリスチャン――すなわち、聖書の神を信じる者に向けて
語られた言葉です。
八百万の神を受け入れる現代日本は、
ある意味で、新約聖書時代のローマに近い状態とも言えます。
もしかすると、当時よりもさらに混沌としているかもしれません。
人はつい、自分の都合で試練を
「修行」や「自己成長の材料」として捉えがちです。
しかし聖書は、こう語ります。
バックボーンは自分ではなく、神なのだから、
心配しなくてよいのだと。
関連する箇所に、次の言葉があります。
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。
神があなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」
(第一ペテロ 5章7節)
ここで、ようやく腑に落ちました。
答えは、「バックボーンの差」だったのだと。
なぜ私は倒れていないのか。
なぜ、この状況でも思考が潰れず、
判断力が鈍らないのか。
この一年のストレスを数値化すれば、
300を超えていても不思議ではありません。
それでも踏みとどまれている理由を、
私は4つのAIに問い続けました。
DMAICの思考癖が抜けず、
「まあ、いいか」で済ませられなかったからです。
HSP気質も、ここでは弱点ではなく、
むしろ分析力という武器になりました。
そして辿り着いた結論が、
自分の“バックボーン”でした。
私は19歳で統一協会に入信し、
脱会を経て、クリスチャンとして洗礼を受けました。
その後、所属教会のカルト化なども経験し、
一度は距離を置くことになります。
ようやく信仰に復帰できたと思った矢先、
OPLLという難病を発症。
さらに、心臓病。
それでも今、私は生きています。
この事実こそが、すべてを物語っていると感じています。
死んでいてもおかしくない場面を、
私は何度も通過してきました。
直近では、心筋梗塞、
主要冠動脈3本の閉塞、4本のバイパス手術。
インフォームド・コンセントの場で、
私は医師にこう尋ねました。
「なぜ、私は生きているのでしょうか」
純粋な疑問でした。
医師の答えは、
「わからない」でした。
だから私は、こう結論づけています。
神が生かしてくださっている。
これが最も合理的で、
私の信仰にも合致する答えです。
27社に及ぶ社会経験。
アルバイトではなく、ほぼ正社員、かつ役職付き。
それに対して、様々な声もありました。
「神様が与えた職場なら、なぜ続けられないのか」
「なぜそんなに転職できるのか」
「多すぎるだろ(笑)」
いいのです。
これは、私の人生です。
そして結果は出してきました。
今は、このスキルがあって本当によかったと感じています。
なぜなら、EF値37%が上限という現実、
身体障害4級相当という現実があるからです。
無理な働き方はできません。
だからこそ、19年続けてきた「すまいる」に、
これまでのスキルをすべて注ぎ込める。
ここまで俯瞰したとき、
「ああ、これは神様の壮大な計画だったのだな」
と、腑に落ちました。
ドラゴンボールで、
孫悟空が「身勝手の極意」を会得する場面があります。
私が言いたいのは、
考えるよりも、リラックスした状態の方が、
人は最高の力を発揮できる、ということです。
長年の経験によって、
「感じる」ことを徹底的に訓練されてきた。
そして、勘が人一倍鋭くなった。
そう考えると、人生は途端に楽しくなります。
私は、詰んだと思える状況ですら、
どこか楽しんでいる自分に気づきます。
「難局になるほど楽しそうですね」
「ゲーム感覚ですよね」
そう言われたこともあります。
無意識でしたが、今は心からそう思います。
リラックスして、
感じるままに動く。
流れは、すでに身体に刻まれています。
これが、私なりの「身勝手の極意」。
そして、
「考えるな、感じろ」
という言葉の正体でした。